導入
サントリーのオールドは、日本で最も有名なウイスキーブランドの一つです。その歴史と特徴、そして適した飲み方について紹介します。
歴史
~’50s
「やってみなはれ。やらなわかりまへんで」
1923(大正12)年、周囲の反対を押し切って、湿霧名水の地・京都郊外の山崎にわが国初のウイスキー蒸溜所の建設に着手して以来、「日本人の味覚に合った日本独自のウイスキーをつくりたい」という創業者・鳥井信治郎の悲願のもと、サントリーの歩みは、そのまま国産ウイスキーの歩みでした。
スコッチの亜流を脱した国産ウイスキーの最高峰「サントリーオールド」が完成したのは、1940(昭和15)年11月。しかし、日米開戦の風雲急を告げる中、ひたすら熟成の時を重ねつつ、本社が空襲で全焼した後も奇跡的に戦禍を免れた山崎の地で終戦を迎えます。
発売は1950(昭和25)年。前年に酒類の公定価格が撤廃され、自由競争の時代が始まり、庶民派ウイスキーの代表「トリス」が洋酒元年の幕を開け、戦災からの復興がようやく実感できるようになった時期でした。
‘60s~’70s
「もはや戦後ではない」が流行語となった1956(昭和31)年を過ぎたあたりから、日本人の生活は洋風化の一途をたどります。
この当時、円熟したモルトウイスキーと高品質のグレーンウイスキーだけで作られる「原酒100%のウイスキー」であるサントリーオールドは、中元歳暮の時期を除いて店頭に並ぶことがないとさえ言われる高嶺の花でした。
働く男たちの憧れの酒──1950年代から60年代にかけて、オールドは「出世してから飲む酒」の象徴でした。
1960(昭和35)年、池田内閣は所得倍増計画を発表しました。
1964(昭和39)年の東京オリンピックを境に、日本は高度経済成長の波に乗ります。オールドの需要が伸び始めるのは、経済力の一つの証として、ウイスキー市場が次第に高級化していくのと時を同じくします。1968(昭和43)年にはGNPが米国に次いで自由主義世界第2位を記録し、円が変動相場制に移行する1971(昭和46)年の貿易自由化を目前に控えて、消費者の目と舌は、いつしか洗練の度合いを高めていました。庶民が口にする酒の種類も、ビールやウイスキーにとどまらず、バーボン、ブランデー、ワインなど多岐にわたり、ライフスタイルの洋風化と消費者の高級志向に弾みがつきます。
一方、バーでのボトルキープの慣習が広まり、「ダルマ」「タヌキ」という愛称で呼ばれることとなったサントリーオールドは、これまで日本酒しか置いていなかった寿司屋、天ぷら屋、割烹など、さらには家庭にも浸透させようと、「二本箸作戦」と呼ばれる大規模なキャンペーンが展開されました。そのきっかけとなったのが、「十年まえは熱燗で一杯やったものですが……一日のピリオド。黒丸。」というコピーも鮮烈な1970(昭和45)年の新聞広告でした。
寿司屋の主人が店を閉めた後、割烹着のままカウンターで一息ついて一杯やる酒が日本酒ではなくサントリーオールドというシーンが、和魂洋才のダイナミックな提案として注目を浴びました。
この提案は見事に受け入れられ、この年に100万ケースの販売数だったオールドは、驚天動地の急伸を見せ、1974(昭和49)年に500万ケースを突破し、1978(昭和53)年にはついに1000万ケースの大台に乗り、1980(昭和55)年には世界の酒類市場で空前の1240万ケースに達しました。
‘80s~’90s
発売から30年経った今、オールドは頂点を極めました。
それは「日本のウイスキー」の代名詞として、国内外で確固たる地位を築き上げたことを意味し、かつてはステイタスだった“ハイ・スタンダード”は今や万人に愛される“マイ・スタンダード”となりました。この次のステージで、顧客の期待にどのように応えるか──この難題に対する永遠の挑戦が始まったことを意味していました。
価値観の多様化による個性の主張は、消費の多様化を促し、洋酒市場は成熟期に入っています。
そうした状況を踏まえ、オールド・ブランドのリニューアルが始まりました。1988年(昭和63年)には芥川賞作家の村上龍を新たなCMキャラクターとして起用し、「深く、こく、やわらかい」などと銘打たれた「新サントリーオールド」が登場しました。
1994年(平成6年)には俳優の長塚京三を起用し、「OLD IS NEW──恋は、遠い日の花火ではない。」というキャッチフレーズで心を揺さぶる「サントリーウイスキーオールド〈マイルド&スムーズ〉」が誕生しました。
いずれの商品も、時代が変わろうとも変わらないオールドの普遍性と、時代とともに進化していくサントリー独自のブレンドを持っています。
2006年
では、こうした過程を経てこの度発売される「サントリーオールド」が内包しているメッセージとは、いったい何でしょうか。
『対抗文化の思想 若者は何を創りだすか』の著者セオドア・ローザックは、近著『賢知の時代 長寿社会への大転換』の中で、60代を迎えるベビー・ブーマーを“ニュー・ピープル”と呼び、かつてカウンター・カルチャーを通過した世代が主役となる「長寿社会」に価値を見いだし、提言しています。今回の「サントリーオールド」登場について、日本のベビー・ブーマー=「団塊世代」とともに歩んできたオールドが、彼らと一緒に来し方を振り返り、もうひと花咲かせようと決意を新たにした徴である、と捉えることもできますが、むしろこれだけ人口の多い世代が「温故知新」のスピリットを湛えつつ、一緒に歩き始めることができたなら、いつの間にか曇ってしまった日本の視界をすっきり晴らして、もう一度より佳き明日をつくることも十分可能ではないですか、というオールドからの前向きな提言であると、受け取っていただけると嬉しいです。