バランタイン

導入

1827年、ジョージ・バランタインによって創業され、200年近くスコットランドウイスキーの伝統と味わいを守り続けてきたバランタイン。

スコッチのベストセラーであるファイネストをはじめ、ザ・スコッチと称される17年など、魅力にあふれたバランタインのラインナップをご紹介いたします。

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歴史

バランタインの歴史

1822年、13歳のジョージ・バランタインはエディンバラで食料品、ワイン、ウイスキーの商人であるアンドリュー・ハンターの元で修行を始めました。

ジョージは修行の一年後、ウイスキー蒸留の認可制度が導入され、密造時代が終わりを迎えました。1824年には新たに認可を受けた蒸留所が次々と誕生しました。

1827年、ジョージ・バランタインは修行を終え、エディンバラのカウゲートに小さな食料品店を開業しました。その後、23歳のジョージはキャンドルメーカーズ・ロウに店を移し、その食料品店は評判を呼びました。

更に5年後、ジョージはサウス・ブリッジに店を構え、貴族や上流階級の顧客に高級ウイスキーや食料品を提供しました。バランタイン社はサービスと品質の優れた商売を展開しました。

1853年、ジョージ・バランタインは長男のアーチボルトに商売を任せ、グラスゴーに移住し、ウイスキーブレンディングに集中しました。当時、ブドウが凶作となり、上流階級の人々はブレンデット・スコッチを求めました。

ジョージはグラスゴーでウイスキーの卸売りを始め、独自のブレンデット・スコッチの完成を目指しました。これが後のバランタイン17年の基盤となりました。

1895年、アーチボルトがジョージ・バランタインから商売を引き継ぎ、エディンバラのプリンシズ・ストリートに店を開業しました。この店は上流社会から愛され、バランタインの名声は国内外に広まりました。

同じ年、グラスゴーではジョージ2世が父親から事業を引き継ぎ、ヴィクトリア女王から王室御用達の称号を授与されました。女王の認められたことはバランタイン社の発展に大きく貢献しました。

1910年、バランタイン社はバランタイン・ファイネストを発売しました。これはバランタイン社の主要な輸出製品となりました。当時、バランタイン社はスコッチ・ウイスキー商、ワイン輸入業者、ワイン商、オールド・スコッチ・ウイスキーの輸出業者、ハバナ産葉巻輸入業者の5つの事業者として電話帳に掲載されていました。

1919年、バランタイン家は他の同業者に会社を譲渡し、事業拡大と国内外への進出に備えました。

バランタイン17年は1937年にマスターブレンダーのジョージ・ロバートソンによって生み出されました。その後80年以上経った今でもほぼ変わらない秘密のレシピで作られています。バランタイン17年は厳選されたモルト原酒を使用し、滑らかさと優雅さで口コミで人気を集めました。

1938年、バランタイン社はグレーンウイスキーの製造を目的とした蒸留所をダンバートンに建設しました。敷地内には小さなモルトウイスキー蒸留所、広大な貯蔵庫、ブレンディングとボトリングのための工場がありました。総工費は300万ポンドで、現在の日本の貨幣価値に換算すると700億円以上になります。

また、1952年には日本のビジネスマンがバランタイン17年を土産として持ち帰り、その評判が高まりました。1953年にはエリザベス女王の戴冠式が行われ、日本では英国ブームが起こりました。

バランタイン17年は最もユニークで高価なウイスキーとして日本でデビューしました。

現在、バランタイン社のウイスキーは世界第3位の販売量を誇ります。バランタイン17年はその上質さと多様なスタイルのために高級ウイスキー愛好家に人気です。

世界中でウイスキーの飲み方は異なり、一部の人々はストレートで飲むことを好み、他の人々は少量の水を加えます。日本ではアイスで飲むことが好まれ、バランタイン17年は人気を博しています。

バランタイン社の一員は「バランタイン17年は、品質が変わらず、あらゆる状況に適応できる非常に優れたウイスキーなのです」と語っています。